【あの人の人生を知ろう/坂本龍馬】 (坂本龍馬の生涯 のホームページより)
薩長同盟
仇敵同士の薩長両藩をどう和解させるか。長州藩は間近に迫った長州征伐を前に最新鋭の武器を欲していた。しかし幕府は『長州藩への武器売却まかりならぬ』と禁制を出しており、武器購入は不可能。文字通り藩存亡の危機に瀕していた。そこで龍馬は親交のあった西郷に働きかけ、 長州藩が武器を購入する際に薩摩藩の名義を貸す代わりに、飢饉で苦しむ薩摩に長州が米を送るという密約を提案した(運搬は亀山社中)。 作戦は大成功。新式の武器を大量に手に入れた長州藩は、薩摩藩が幕命に反してまで名義を貸してくれたことで、わだかまりが消えていく(実際、第二次長州征伐では30倍もの幕府軍を蹴散らした)。 龍馬が仲介となって両者は急接近し、悲願だった薩長の軍事同盟締結が現実味を帯びてきた。1866年、正月明けの京都で薩摩・西郷隆盛と長州・桂小五郎のトップ会談が始まる。しかし!同盟へ向けた話し合いが10日目に入っても、互いに「我が藩と同盟を結んでくれ」と切り出せないでいた。先に言った方が“お願いする”立場になるからだ。 長州への帰り支度を始める桂小五郎に龍馬が詰め寄ると「もし長州から和解を申し入れれば、幕府との戦争を控え危機にある長州が、薩摩に情けを求めることになる。たとえ和解が成立せず長州が焦土となろうとも、面目を落とすことは出来ない」との返事。彼は激怒した。「長州の体面云々、一応うけたまわろう。しかし元来、薩長の和解はこの日本国を救わんがためなれば、一藩の私情は忍ばざるべからず!」。藩の名誉や利益は関係ない、今日本を新たな世の中に変えなくてどうする、この談判に桂は心を動かされる。一方、西郷もまた龍馬から無情を痛論され、桂の心情を察して自分から同盟を申し込むことを約束する。1866年1月21日、ここに日本の歴史を変える薩長同盟が締結された!
科学者の使命感を胸に 大村氏ノーベル賞 (2015/10/6 1:26日本経済新聞より)
感染症の研究で多くの人々の健康を守った日本の研究者が、科学界で最高の栄誉に輝いた。ノーベル生理学・医学賞受賞が決まった大村智・北里大学特別栄誉教授(80)。「科学者は人のために」を信条とする微生物化学の第一人者は、美術にも造詣が深い多才の人。日本人のノーベル賞受賞は2年連続で、関係者からは惜しみない賛辞と祝福が贈られた。
「科学者は人のためにやることが大事という精神でやってきた」。ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった大村氏は5日午後、北里大学で記者会見し、喜びとともに研究に対する思いを語った。
朗報から約2時間。午後8時半すぎに大村氏が会見場に現れると、学生らが大きな拍手で迎えた。終始笑みを浮かべながら、謙虚な言葉で喜びを語った。
「人のため」の信念は、子供のころの祖母の言葉が根底にある。「人のためになることを考えなさい」と繰り返し教えられたといい、「研究の分かれ道にくると(祖母の言葉で)判断している」と明かした。
「人と同じ事をやってもダメ」。自身の研究についても「やったことはだいたい失敗してきた。でも、びっくりするくらいうまくいくときがある。それを味わうと何回失敗しても怖くない」と話し、学生らに「1、2回の失敗はどうってことないよと言いたい」とエールを送った。