「仁」と「礼」について 進研ゼミ高校講座 (ベネッセコーポレーションのホームページより)
□「仁」は、具体的には「孝悌、克己、恕、忠、信」という個別のあらわれ方をするのだと説きました。「孝(こう)」=子が親に尽くすこと、「悌(てい)」=弟が兄に尽くすこと、「克己(こっき)」=私利私欲をおさえること、「恕(じょ)」=他人に対して思いやりをもつこと、「忠」=自分の心に素直なこと、「信」=人をあざむかないこと、という具合に説明したのです。とりわけ、近親者への思いやりを説いている「孝悌」を、「仁」を実現するための基本中の基本であるとして重んじました。
□ところで、人を愛する「仁」は、あくまで人間の内面にある情ですから、他人には伝わりにくいのが難点です。そこで、孔子は、「仁」が態度や行為として外面にあらわれたものを「礼」とよんで区別しました。
渋沢栄一「論語と算盤」が教える人生繁栄の道 渡部昇一 致知出版社
□・・・『論語』は道徳の象徴であり、算盤は経済の象徴です。
□・・・どうしても守らなくてはならないのは商業道徳であり、商業道徳とは一言にしていえば信である、と力説します。信を守れなければ、実業界の将来はないといっているのです。
□道理のあるものは必ず生産と一致し、仁義道徳と生産利殖は決して矛盾しない。ただし、富をなす手段としては第一に公益を旨として、人を虐げたり人に害を与えたり人を欺いたり偽ったりしてはいけない<✎>。
<✎> 虐げる(しいたげる):むごい扱いをして苦しめる。虐待する。いじめる。
欺く(あざむく):言葉巧みにうそを言って、相手に本当だと思わせる。言いくるめる。だます。
偽る(いつわる):事実や自分の本心を隠し、真実を曲げて言ったり、したりする。
□・・・競争は大いに励みになるから必要ではあるけれど、善い競争と悪い競争があるのだと渋沢はいうのです。
渋沢のいう善い競争とは、すなわち毎日人よりも早く起きて善い工夫をし、智恵と勉強とで他人に打ち克とうとする競争です。それに対して、他人の評判がいいから、これを真似て掠(かす)めてやろうと足を引っ張るのは悪い競争です。
悪い競争をしても、事によっては利益が出る場合もあるかもしれませんが、たいていは自分自身も損をするものです。それだけならまだしも、日本の商人は困ったものだと外国に軽蔑されるようになってしまう。それでは困るというのです。
そこでやはり道徳が重要になってくるわけですが、それを難しいものだと考える必要はない。道徳は難しく説くと、道徳を説く人と道徳を行う人が別ものになってしまう。要するに、道徳屋と実践にあたる人とが切り離されたような形になってしまうけれど、本来の道徳はそういうものではなく、日常にあるべきものだ、と渋沢は強調しています。
たとえば、約束した時間に遅れないようにするのも道徳だし、譲るべきものは譲るというのも道徳です。当たり前のことを行えば、それで十分なのだと渋沢はいっているのです。
自分の商売についてはよく勉強をして進歩をしなければならないけれど、悪い競争はしてはいけないと教えているのです。
脳は『論語』が好きだった 篠浦伸禎(脳外科医) 致知出版社
□・・・ストレスがあったからといって、必ずしも脳が病気になるわけではありません。むしろそれをいかに乗り越えようかと知恵を絞り工夫することを契機にして、人間は成長できるチャンスを手にすることができます。そうした知恵や工夫が書かれた代表的な書物が、東洋の『論語』であり、西洋の『聖書』です。したがって、これらに書かれている考え方は脳にとって、とても価値あるものになるわけです。
□『論語』の中心思想である「仁・義・礼・智・信」・・・を目標に生きていくことは、・・・普段の生活でストレスを軽減することにつながっていきます。
・・・「仁・義・礼・智・信」を備えた・・・厳しい事態が迫っても・・・活動をやめたりはしません。それどころか、・・・不安感を力に変えてしまいます。
□「公」に向けて脳を使うとは、言い換えれば、社会の役に立つように尽くして生きるということです。・・・
逆に「私」に向けて脳を使うとは、自己中心的に態度・行動を決定することと考えてもいいでしょう。・・・
もちろんこれは程度問題で、無理やり「私」を抑えた結果として不幸を招くこともありますし、本人は「公」のつもりでも周囲がそう見ていなければ、むしろ弊害・・・。
□『論語』は、ある程度元気があるときにストレスに対処し、未然に防ぐために役立つ学問だと私は考えています。ですから、ストレスで人間脳が機能低下を起こし、脳の中でノルアドレナリンの嵐が吹き荒れているようなときには、別の対処法が必要になるのです。
□・・・『論語』の考え方は、戦後になると戦前の教育への反発から顧みられなくなりました。そのためか、現代人は生き方、とくに社会に出たあとの働き方や、周囲の人間にどう接するかという人間関係づくりについての指針となるものを持たなくなりました。昔の人が幼い頃から学んでいた人間学を知ることがなくなってしまったわけです。
生きていくための羅針盤ともいうべき人間学を知らないことが、現代人のさまざまな問題、たとえばうつ病、自殺の増加、凶悪な犯罪の増加などに結びついていることは明白です。